ブログNo.1 開院 みしま痛み&リハビリクリニック(M-PARC) 生い立ちと信念1
はじめまして、院長の寺田哲です。
開院して初日、スタッフの皆の頑張りでなんとか乗り切ることができました!32名の新患の方が来てくださり、とてもありがたかったです!
まだシステムが追いつかずバタバタでしたがこれからも痛みのある患者様と真摯に向き合いさせていただきます^^
さて、今まではfacebookで開業するまでの100日間の様子を日々カウントダウン形式でお届けして参りましたが、今日からは開院を記念して、ブログへその活動の場を移し日々感じたことや、学んだことを書き綴っていこうかと思います。
facebookのように毎日更新は難しいとは思いますが、週に1回くらいはできればいいかなと思っています。
どうかお付き合いくださいましたら幸いです。
では、1発目ということで自己紹介と生い立ちと信念を綴らせていただきます
私は東京都足立区の生まれで、足立区で病院(寺田病院)を経営している医者の父と専業主婦の母のもと、4人兄弟の末っ子として生まれました。
私一人、歳の離れているせいか、兄や姉たちにはおもちゃのように扱われていたことをよく覚えていますが、本当に自由に育った記憶があります。
そんな愛情をたくさん受けて育った私は小、中、高校と千代田区にある私立暁星学園に通いましたが、父が幼少期に他界し歳の離れた兄が病院を引き継ぎ、母がほぼ女で1つで私をここまで育ててくださいました。実家は病院であり兄が父の思いを引き継ぎましたが、それでもまだ兄も当時は20代で若く、母はなんとか幼い自分を育てるのに必死だったと思います。
そんな思いとは裏腹に私は全く勉強せず年中、学校に呼び出されていたことを覚えています。小学校から続けていたサッカーも中学で辞め、打ち込むものも特になくただただ友人たちと遊んでいました。
それでも医学部に受かったことは運がよかったとしか言いようがないのですが...
ここまで読んでいただきました方々は、『こいつには昔から医師を志すとか信念とかがないのではないか』と思われた読者の方(患者様)もいらっしゃると思います。
その通りです。当時の私には父が他界しても、母が女で1つで必死にやりくりしてくれていても、兄が若くして病院を引き継がなければならないことになって大変な思いをしていたとしても全く解することもなく、行動に移せず(勉強をする)にいました。いや、どう行動して良いのかがわからないといった方が正しいでしょうか、ただただ遊んでいた記憶しかなく、将来といえば『何かの社長になりたいなあ。』と考えるそんな頭の軽い高校生でした。そんな流れのまま高校を卒業して2浪し医学部にもなんとか入る事ができましたが、なんのために医師になるのかがまだ見えていなかったと思います。
医学部生になっても医師としてのビジョンや信念のようなものは自分の中ではありませんでした。ただ、なんというか、なんのためにこのまま医師を目指すのか?という鬱屈した心のもやもやは常にありその答えに辿り着くまでさらに月日を要しました。
とまあ、こんな感じで時間があるときにでも書いていけたらと思います。
次回はこのもやもやが晴れるまで 大学編をお送りいたします。
P.S:今は日本を元気に三島を日本一の健康長寿の町にするという信念がありますのでご心配なく^^日本全体を元気にしたい!